商売人の血を受け継いだ少年時代
私の家は元々、床屋をやっていました。しかし父はそれに飽きたらず、タイヤ再生工場、板金工場、塗装工場など、自動車に関わる商売を次々と手がけていきました。東京に仕入れに行くときは、私に学校を休んで一緒について来いと言いました。学校の授業を受けるよりも、実際の商売の現場を見せた方が将来私の役に立つと考えたのです。そのおかげもあって、小さい頃から商売の面白さに目覚めました。高校一年で免許を取り、通学路で出会った赤いルノーのオーナーを1年間かけて説得、売ってもらったのが今の仕事の原点です。
順調な日々に突然訪れた倒産という現実
父の仕事を見ていて、板金や塗装といった下請の商売をしても売上には限界があると感じていました。それなら誰かが困っていることを助ける商売をしようと考え、事故車・故障車のクレーン引き上げサービスを思いつきました。昔は車で事故に遭うと、今のようにすぐにレッカーが来てくれるわけでもなく、タイヤや部品を盗まれてしまうことが当たり前だったので、とても重宝がられました。しかし、私が36歳の時に地元の重機会社に騙されて、会社は倒産に追い込まれました。一気に一文無しになった私は、もう一度原点に戻って、自動車の商売で再生しようと決意しました。
中古車業界の常識を自分たちが覆したい!
最初は全く売れませんでした。一度倒産した会社が信頼を得るのは本当に大変なことでしたが、恥を捨てて本気でお客さんとぶつかると、熱意が伝わることを知りました。当時、中古車業界はうさんくさい業界だと思われていました。クルマの価格もバラバラで、明確な査定基準というものが存在しませんでした。誰もが安心して中古車を買えるようにしよう、中古車業界の古い体質を変えよう、という想いで1994年に2人でスタートしたのがガリバーの前身です。5年後までに500店舗の達成が目標でしたが、1999年9月に無事達成しました。
全く新しい自動車の世紀がこれから始まる
私たちが中古車業界で実現した革命は、全国店舗の膨大な在庫の中から、インターネットで写真付きの車のデータをいつでも見られるようにしたことです。お客様が展示場に来ていただくのをただ待っているのではなく、いつどこにいても欲しい車が見つかるようにしました。おかげさまで、車が売れないと言われる状況の中で、私たちは確実に売上を伸ばしてきました。今後は世界に9億台あると言われている車が、徐々に電気自動車に入れ替わっていくでしょう。単なる移動手段からステイタスシンボルとなった自動車が、これからどんな存在に変わっていくのかが楽しみで仕方ありません。