父と同じ金融の道を選ぶ
小さい頃は兄の影響もあって、野球に夢中でした。しかし周りに上手な人がたくさんいて、これ以上続けても彼らには叶わないのじゃないかと思い、中学ではバレーボール、高校ではハンドボールをしました。スポーツを通じて学んだのは、チームをまとめて良い結果を出すにはどうしたらいいのか、どうしたらみんなのモチベーションを上げられるのか、といったことですね。将来は先生になりたいと、慶應義塾大学文学部に入ったのですが、銀行員だった父の影響もあり、1989年に北海道拓殖銀行に入行しました。
都市銀から外資系証券会社への転職
当時、都市銀行が13行ある中で、拓銀はまだまだこれからの存在でした。だからこそやり甲斐もあると思ったのですが、実際に働いてみると東京や関西、そして海外の情報がなかなか入ってこないことに気づきました。まるで自分だけが取り残されているように感じてしまって、次は世界中の情報が集まる場所で働いてみたいという想いが高まっていきました。そこで、当時旧山一証券の営業網を引き継いで設立されたメリルリンチ日本証券へ転職しました。入社後すぐにニューヨークに研修に行かせてもらうなど、貴重な経験をさせてもらいました。
グローバルな金融ビジネスの世界で
銀行と証券会社というのは似て非なるもので、日本企業と外資系企業のカルチャーが全く違うことも実感しました。その後は2年間ビジネススクールに通い、いろんな国籍の人たちと会計や財務など様々な金融の知識を学んだことがその後の自分の大きなバックボーンになりましたね。また、ビジネスで成功するために必要なのは知識や技術だけでなく、コミュニケーション能力だということも知りました。そして1995年、上場したばかりだったソフトバンク・孫正義社長の考えに衝撃を受け、同社へ入社。経営企画・財務主任を担当することになります。
誰もが自分の資産運用をする時代に必要なこと
ソフトバンクの分社化以降はファイナンスグループに配属され、1998年に個人投資家へ投資情報を提供するモーニングスターという会社が設立、38歳で同社の社長に就任しました。私たちの特徴の一つは競合他社がいないこと。投資家に対して客観的な情報提供を行い、一人でも多くの投資家が最適な資産運用ができるようになるお手伝いをすることが、私たちのミッションです。単なる情報提供に留まらず、投資の教育・啓蒙活動にも力を入れています。今後世界の金融市場がどう変わろうと、私たちのような存在は社会に欠かせないと信じています。